Blog

ブログ

葬儀祭壇の歴史と変化

葬儀祭壇の歴史と変化

葬儀における祭壇は、時代とともに変化し、最近では生花祭壇が注目を集めています。

昭和初期の白木祭壇から、彫刻幕板祭壇の進化を経て、現代では生花祭壇が個性的な表現手段として普及しています。

生前の足跡や個性を強調することで、葬儀が新たな感動や思い出を提供する場となっています。

この記事では、葬儀における祭壇の歴史的な変遷と、最新の傾向である生花祭壇の注目にフォーカスして、祭壇の進化がどのようにして生前の足跡や個性を表現する手段となり、葬儀のスタイルや感動をどのように多様化させているかについてご紹介します。

祭壇とは神聖な空間

「祭壇」とは、神々に供物をささげ、祭具を配置して祭祀を行う場所です。

この祭壇は石、土、木などさまざまな形態があり、神的存在と人との通路づけの場として機能します。

祭壇の語源はヘブライ語で、「犠牲の場所」を指し、犠牲動物を焼いたり香をたいたりする場所として使われました。

キリスト教の祭壇は聖餐の食卓であり、聖なる場所として理解されます。

また、仏教や神道における祭壇も異なる形態で神仏への供養や祭りを行います。

葬列と古式の儀式

葬儀会館や霊柩車、火葬場がなかった時代は、手で棺を持ち、村のはずれの墓地で葬儀を行い、土葬や火葬を行っていました。

昔のお葬式では、葬列が最も重要な儀式でした。

末期の水、納棺、通夜や葬儀の読経など、いくつかの意味のある儀式が行われました。

現代のお葬式では通夜式に弔問があり、葬儀・告別式が故人を送り出す主要なセレモニーとされていますが、昔の葬儀では、遺族や親族、村の人々が一緒になって、故人を墓地まで運ぶ葬列が葬儀のメインイベントであり、大名行列のような格式高い行事でした。

形態から見た現代の死の位置づけ

葬列が廃れ、自宅での告別式が広がった大正期以降、祭壇の使用が一般的になりました。

昭和30年代頃からは、白布や金禰などの布掛け祭壇から、彫刻幕板祭壇への変遷が始まりました。

祭壇は単なる儀礼の道具から、仏浄土を彷彿とさせるデザインへと進化し、故人を追悼するための儀式的な空間を創り出すことが一般的になりました。

一方で、大規模な葬儀では生花祭壇が用いられ、団体葬では団体のシンボルや功績を表現することが一般的です。

個人葬では、故人の趣味や嗜好を表象するモチーフが見られます。

近年では、葬儀祭壇が積極的に意味を持つようになり、生前の足跡や個性を反映した存在として扱う傾向が強まっています。

死を生前の記憶に位置づけることが、葬儀の新たな側面となっています。

儀礼の空間と祭壇の進化

葬列はかつて葬儀の中で特に重要視され、儀礼化されていました。

しかし、大都市部では葬列が廃れ、葬儀告別式が中心的な儀礼となりました。

これに伴い、儀礼空間が変わり、祭壇の形式が進化していくこととなりました。

祭壇は葬儀の重要な要素であり、その構成や形態も時代とともに変わってきました。

かつては簡素で装飾性が少なかった祭壇が、儀礼の質的変化とともに装飾性を帯び、葬儀の中心的な要素となりました。

これが葬儀告別式場の重要性を高め、祭壇の飾り付けも参列者の目を引くように変化していったのです。

祭壇進化史:白布から金欄へ

昭和初期までの祭壇は、白木板でできた枕机が主流であり、座棺や間口六尺の机が使用されていました。

その後、寝棺が使われ祭壇は段数を持つ「祭壇」と呼ばれるようになりました。

祭壇の材料は縦材が主流で、板厚も段階的に変化しました。

金欄祭壇が登場し、高級感を出す傾向が見られました。

尚、祭壇自体の意匠は潜在的には存在していたものの、金欄の採用により彫刻や特別な意匠が取り入れられるようになりました。

祭壇の進化は、祭壇自体が儀式や社会の変化に敏感に反応し、その都度変遷してきました。

白布から金欄への変化は、祭壇が単なる道具から、より華やかで特別な儀式の要素へと変貌していった証でもあります。

彫刻幕板祭壇の進化と美学

高度経済成長期を経て、彫刻が施された板で構成される「彫刻幕板祭壇」が登場し、その進化によって祭壇は新たな局面を迎えました。

彫刻幕板祭壇は、高級な祭壇を求める需要に応じ、白布や金禰を用いないで板で段を組む形態となりました。

その彫刻は仏教建築のデザインを模倣し、蓮や菊、鷺、鳳風、羅漢像、天女などがデザインに組み込まれました。

これにより、祭壇は装飾性が増し、豊かなイメージを創り出しました。

更なる進化として、彫刻幕板祭壇は幕板の部分を障子格子にして、中に蛍光灯を組み込んだ「蛍光灯式格子祭壇」が登場します。

彫刻の手間や材料費を削減し、大量生産が可能となり、祭壇の大衆化が進みました。

蛍光灯の組み込みにより、祭壇は明るく、また体裁もよく整ったものへと変化しました。

彫刻幕板祭壇の進化の一環として、須弥壇の形態を取り入れた祭壇も登場しました。

その形態は白木の宮殿のようであり、段をつける場合など、その形態は極めて多様でした。

これらは「須弥祭壇」や「須弥型祭壇」と呼ばれ、最も高級で高価なものとして製造されました。

棺かくしと飾り輿

祭壇の進化は最上段にも及び、「棺かくし」や「飾り輿」、「半輿」といった道具が登場しました。

これらは平面な衝立から、白木の宮殿のような形態へと変化し、彫刻や彫金、さまざまな意匠が取り入れられました。

これは葬儀用品問屋のカタログでも「錦殿」といった建物を意味する用語が使用されるほど、荘厳なものへと進化していきました。

祭壇は、豪華になり、宮殿化していくにつれて、故人が仏のいる浄土や他界にいる様子を視覚的に表現し、再生のモチーフを構築しています。

これらの進化は、祭壇が単なる儀式の道具から、故人の魂が安らぎ、浄土への旅を始める場所へと変容していったことを物語っています。

生花祭壇と生前の足跡

近年、葬儀の風習が多様化しており、その中で注目を集めるのが「生花祭壇」です。

白木の彫刻祭壇に代わり、生花を大量に使用するこのスタイルは、大規模な葬儀だけでなく、小規模な家族葬でも人気があります。

現代では約8割が生花祭壇を採用しており、そのうちの3分の2が仏教の葬儀に関連しています。

白木祭壇は相対的に使用例が少なく、生花祭壇の普及が見受けられます。

仏教の葬儀においても生花祭壇が主流で、その使用は他の宗教や無宗教葬に比べて圧倒的です。

生花祭壇において注目すべきは、各祭壇が何らかのモチーフを込められることです。

特に団体葬では、葬儀を主催する団体や故人個人にフォーカスしたデザインが一般的であり、マークや紋章、趣味のアイテムなどが生花祭壇に取り入れられています。

団体の事業や故人の趣味、個性そのものが生前の功績と結びつき、祭壇はまさに生前の足跡の表現の場として機能しています。

著名人の葬儀では、プロレスリングのリングや映画のセットを再現するなど、個々の生涯を象徴的に表現する取り組みが見受けられます。

個人葬においても、生花祭壇は単なる花飾りにとどまらず、故人の好みや趣味を反映させたデザインが主流です。

生花祭壇は、個人の葬儀においても故人らしさの表現が重視され、そのために様々な工夫やモチーフが取り入れられています。

趣味や業績、好みなどが祭壇に反映され、参列者に故人の豊かな人生を感じさせることが期待されています。

生花祭壇は、伝統的な白木祭壇に代わる新しい形態として、葬儀のスタイルや意味合いを多様化させ、参列者に深い感動や思い出を提供しています。

まとめ

葬儀における祭壇は、歴史的な変遷を経て、生花祭壇が台頭しています。

初期の葬儀では、白木や金禰を使用した布掛け祭壇が一般的で、その要素は最低限のものに過ぎませんでした。

しかし、白木の彫刻祭壇が導入されると、彫刻や装飾が施され、祭壇がより重要視されるようになりました。

この変遷の中で、祭壇が仏浄土を喚起するモチーフを持つようになり、その精巧さが仏教式葬儀での使用に特化していったとされています。

白木の彫刻祭壇では、基本的に仏浄土がモチーフとなり、死者は異なる存在として取り扱われました。

一方で、これは故人ごとにデザインの相違があるものの、主に葬儀の規模や社会的地位によるもので、故人の特徴は抑えられていました。

生花祭壇の台頭により、祭壇は死者の生前の個性を直接的に表現する手段となりました。

祭壇のモチーフは故人の生涯や功績にフォーカスして、デザインや規模においても個性的な表現が可能になったのです。

ブログ一覧

Contact
お問い合わせ

お問い合わせはお電話・メールフォーム・LINEより承ります。
お気軽にご相談いただければ幸いです。
ご危篤・ご逝去でお急ぎの場合は【至急】お電話ください。

事前相談をしていただくと、「お葬式で使える1万円割引券」を無料プレゼント