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葬儀屋が知らない臨終の話し

葬儀屋が知らない臨終の話し

私たち葬儀業者は、亡くなった後の段階が仕事です。

私は父親と祖母の葬儀を出しましたが、どちらも臨終には立ち会えませんでした。

なので、臨終の場面についての理解は不十分です。

そこで、在宅医療医として多くの死を見守ってきた作家の久坂部羊氏の「人はどう死ぬのか」(講談社現代新書)から、人がどのように死に向かうのかをリアルに描き、安らかな死に至るために知っておくべきことをまとめた死の教科書を抜粋し、編集してご紹介します。

人はどう死ぬのか – 久坂部羊

死の判定とは?

近年、死という概念も医学の進歩とともに複雑化しています。

単なる心拍停止や呼吸停止だけではなく、「死の三徴候」が確認される必要があります。

これは、「呼吸停止」「心停止」「瞳孔の散大」の三つの要素です。

しかし、これらが揃って初めて死と判定されるのです。

通常、死は医者が死亡時刻を宣告した瞬間と考えられがちですが、実際には死の瞬間を厳密に定義することは難しいのです。

臓器は同時に機能を停止するわけではなく、死体腎移植では腎臓が取り出されても一定の機能を維持します。

同様に、心臓や肺も徐々に機能を停止し、最後の細胞が死滅する瞬間まで明確な死の判定は難しいのです。

死後も働く臓器

腎臓、膵臓、眼球など、死後も一部の臓器が一定の機能を維持できる現象は驚くべきものです。

これらの臓器は、死後も一定の酸素や栄養を供給される限り、一時的に機能を果たし続けます。

心臓や肺も同様に、徐々に機能が停止していくプロセスがあり、最後の細胞が死滅する瞬間を明確に判定することは困難です。

計測器が示す死の瞬間の難しさ

死の瞬間を示すために使われる計測器も、心臓の動きや呼吸の停止を確認できるものの、細胞レベルでの死滅までを正確に捉えることは難しいです。

死は単なる機能停止だけでなく、細胞が次第に死滅する複雑なプロセスなのです。

死は厳密に定義することが難しい

死の概念は複雑であり、単なる心拍停止や呼吸停止だけではなく、死の三徴候を確認する必要があります。

臓器の機能停止や死滅のプロセスは複雑で、計測器でもその瞬間を正確に捉えることは難しいのが現実です。

死は科学的にも精神的にも厳密に定義することが難しく、深く探求されるべきテーマであると言えるでしょう。

死のポイント・オブ・ノーリターン

死というものは、突然死や即死を除き、一般的には昏睡状態から始まります。

完全に意識を失い、呼びかけや痛みの刺激にも反応しない状態に至ります。

昏睡中には、エンドルフィンやエンケファリンなど、脳内モルヒネが分泌され、本人は心地よい状態にあるかもしれません。

しかし、これは未だ仮説であり、確証はありません。

昏睡に入ると、表情はすっかり消え、次第に下顎呼吸が始まります。

これが死のポイント・オブ・ノーリターンです。

呼吸中枢の機能低下によるもので、酸素供給が無意味となり、この瞬間から回復の見込みが絶望的です。

ほとんど呼吸が見えないように見えるかもしれませんが、本人は無意識であり、喘いでいる感覚はありません。

この状態が始まると、蘇生処置が成功しても一時的であり、再び下顎呼吸に戻ります。

これは生き物としての寿命が尽きた合図であり、抗わずに穏やかに見守るべき瞬間です。

下顎呼吸の継続時間は個人差がありますが、通常は数分から一時間前後です。
次第に呼吸数が減少し、無呼吸と下顎呼吸が入れ替わります。

これが「チェーンストークス呼吸」と呼ばれ、最後の一息を吐いて絶える瞬間がやがてやってきます。

死への移行は不可逆的で、その穏やかな状態を理解し、周囲が適切な態度で見守ることが大切です。

看取りのプロ

医学部卒業当時、大学病院の研修医が市中病院の当直を務め、夜に患者が亡くなるとアルバイトの研修医が看取りを行うことが一般的でした。

これには、看取りの作法が存在し、先輩医師から様々な指導が与えられました。

まず、「慌てず、騒がず、落ち着かず」が看取りのコツであると伝えられました。

これは、新米医師が慌ててしまわないように見破られないため、騒がずに状況を管理し、しかし落ち着きすぎずに適度な緊迫感を持つことが求められる理由があります。

もう一つの重要なポイントは、早すぎる臨終の告知を避けることです。

患者が臨終に追い込まれる際、下顎呼吸が始まります。

しかし、この瞬間に医師が急いで臨終を告げると、思いがけない最後の一呼吸が起こり、家族が混乱することがあります。

心電図でも同様で、最後の波が現れる前に告知してしまうと、家族の混乱を引き起こします。

そのため、患者が亡くなってからもしばらく様子を見、本当に下顎呼吸が終わってから時刻を確認し、臨終を告げることが指導されました。

この際、心電図のスパイクが出たとしても、スイッチを素早く切り、家族には気づかれないよう心掛けることも重要です。

結局、医師の告知時刻よりも実際に患者が亡くなるのは少し前であり、この繊細で慎重な役割を果たすことが、看取りのプロとして求められるのです。

看取りの儀式

夜勤の当直医がアルバイトで務める病院では、患者さんが亡くなる際、医者同士での情報交換が欠かせません。

しかし、その中で特に注目すべきなのが、「この人は儀式はいらんから」といった言葉。

これは、看取り時の蘇生処置を指し、医師たちの隠語とも言えます。

儀式には宗教的な意味ではなく、患者の臨終時に行う一連の処置を指します。

これには、心臓マッサージや強心剤の使用などが含まれ、その目的は蘇生する可能性がほぼない状況であるにもかかわらず、家族に対して治療が行われたという満足感を提供することにあります。

具体的には、心臓停止後に強心剤を注射し、心臓に直接薬を投与したり、心臓マッサージの演技を行ったりします。

しかし、これらの行為は実際には患者の生還の可能性が極めて低いため、医師同士のコミュニケーションの中で隠語として使用されることがあります。

この儀式がなぜ行われるのか?

それは家族に対して患者への全力の治療を行ったという納得感を与え、後々のクレームや不満を回避するためです。

患者が亡くなってしまった場合、「何もしてくれなかった」という言葉が患者の家族から出ることは医師にとって困難です。

そのため、無駄であるにもかかわらず、儀式が行われるのです。

ただし、家族が患者の死をすでに受け入れている場合は、「儀式はいらない」と伝えられます。

こういったケースでは、臨終を厳かに告げるだけで十分であり、余計な処置が行われないことが家族にも看取る医師にもとって良い結果を生むこととなります。

最近ではインフォームド・コンセントが進んでおり、病院も患者側に対して事実を伝え、無駄な処置を行う必要性は減っているかもしれません。

しかし、家族が死を受け入れる心構えが重要であり、死を拒むことではなく穏やかに受け入れることが大切です。

医療と法律の死について

これまでの説明は、生物学的な観点からの死、すなわち生命の終焉についてでしたが、死には手続き上の観点と法律上の観点からも三つの異なる側面があります。

まず一つ目は手続き上の死です。

これは医師が死亡診断書に時刻を記入することで確認される死です。

しかし、これが生物学的な死とずれることがあります。

在宅医療の場合、患者が夜中に亡くなり、朝にその死亡を確認するというケースがあります。

この場合、二十四時間以内に医師が診察を行っていないと、警察への連絡が必要とされ、検死や行政解剖の可能性が生じます。

これを避けるため、医師は患者の死亡を確認する儀式を行うことがあります。

これは実際の生物学的死とは異なり、法的な手続き上の死として捉えられます。

医師の診察前には死んでいないものと見なされ、手続き上の死は医師の確認後に初めて成立するのです。

二つ目は法律上の死で、一般的に「脳死」と呼ばれます。

日本では2010年の臓器移植法改正により、法的に脳死が死と認められるようになりました。

脳死は全脳死を指し、脳幹が停止することで生命維持が不可能になります。

これが法律上の死とされ、臓器移植の際などに用いられます。

脳死と混同されることがあるのが「植物状態」です。

これは大脳が死んでいるが脳幹が生きている状態で、自発呼吸が可能です。

法的な死ではないため、植物状態にある患者は生命維持が続けられることがあります。

このように、生物学的な死以外にも手続き上と法的な側面があり、それぞれの死には異なる視点が存在します。

医療の進化や法律の改正に伴い、死に対する捉え方も変化していくことでしょう。

脳死のパラドックス

脳死に陥った患者が人工呼吸器により心臓が動き続けている場合、しばらくは臓器移植が可能です。

しかし、この状況には奇妙なダブルスタンダードが潜んでいます。

脳死とは、脳の機能が停止し、死の状態と見なされる概念です。

この概念は、臓器移植が進む中で生まれました。

例えば心臓移植では、生きている心臓を提供者から取り出さなければ手術は成り立ちません。

しかしこれが難しい問題がありました。

生きたまま心臓を取り出せばドナーは死亡しますが、死体から取り出しても心臓は動きません。

このジレンマを解決するために、法的に死と見なされる新たな定義が必要でした。

それが脳死です。

脳死が法的な死とされることで、生きたままの心臓を摘出しても殺人にはならないという状況が生まれました。

しかし、脳死の患者は人工呼吸器により胸が動き、身体が温かいという生命の兆候が残ります。更に、心臓の摘出時には全身麻酔が行われます。

これにより、死体に対して麻酔をかけるという非常に異例な事態が生じ、脳死の概念に対する疑念が広がります。

こうして、臓器移植のために生まれた脳死の概念は、生死の境界線を曖昧にし、法的な解釈に矛盾が生まれるダブルスタンダードの舞台裏を抱えているのです。

まとめ

「人はどう死ぬのか」を通じて、私たち葬儀業者の知らない臨終や死後の世界を抜粋し、編集してご紹介しました。

本書では医師の視点から厳しい現実が語られています。

できれば目を背けておきたい話題ですが、久坂部羊氏の在宅医療医としての経験から抽出したリアルな描写が、死に対する私たちの理解深めます。

死の定義や計測の難しさ、死後の臓器の驚くべき働きに触れながら、看取りのプロの心構えや医師と家族の重要なコミュニケーション、儀式や法的な死についてなど、死に対する捉え方は多岐にわたります。

さらに、臓器移植における脳死の概念には奇妙なダブルスタンダードが潜んでいることを指摘し、死に対する理解が科学的・精神的に複雑であることを示唆しています。

これらの事実から、死は深く探求されるべきテーマであり、それを知ることで私たちがより豊かな人生を送る手助けになることでしょう。

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