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薄葬トレンド葬儀の進化

薄葬トレンド葬儀の進化

歴史の舞台裏に隠れた、葬儀と墓の変化。

「古墳」と呼ばれた時代から始まった葬儀の形式は、社会構造や法令の変化とともに進化してきました。

そして、現代の「薄葬」が主流となる中で、経済的な観点や個人主義の浸透がどのような影響を与えているのか?

これらの歴史的背景を通して、葬儀文化の奥深さと、私たちの生活にどのような影響を与えているのか?

遠く弥生時代から始まり、古墳が政治の象徴となり、厚葬が一般的であった時代から、現代に至り「薄葬」が広がる潮流まで、その変遷をご紹介します。

葬儀と墓の在り方の変化

1000年以上前の日本の葬儀は、今とは大きく違います。

しかし、死は時代や価値観を超えて、人間を含む全ての生き物に平等に訪れるものです。

だからこそ、誰かを失い悲しむ経験や、その悲しみから立ち直り、後になってその人を懐かしく思うことは、現代でも古代でも共通しています。

同時に、葬儀や墓の在り方は時代の影響を受けます。

葬儀や墓は「大切なもの」であると感じつつも、それを簡素化する選択をすることもあります。

自分や遺族が大切に思っていることは、生きているうちに積極的に計画するものであり、「大切なもの」の一環と考えられます。


また、古い墓が「誰も継がない」とされて「墓じまい」されることも、ただ単に「孤独」や「かわいそう」と一概に言えるものではありません。

将来の日本では、どのような価値観や判断が一般的とされるかは予測が難しいものであり、我々には想像できないことかもしれません。

弥生時代の政治的な象徴「古墳」の興り

弥生時代の始まりである水田稲作農耕により、人々の生活は「狩猟・採取経済」から「生産経済」へ変化しました。

この変化により、各地で水田を中心とした村ができ、これらが統合されて初期の政治的な集団である「クニ」が形成されました。

弥生時代の中ごろからは、これらの政治的な集団の首長たちによって墳墓が造られ始め、後期後半には特色ある墳丘墓が各地で建設されるようになりました。

古墳は亡くなった首長(大王)の魂が行くとされる「あの世(黄泉国)」を示すものと考えられます。

弥生時代後期には、日本には木槨や石槨といった、棺を保護する施設である「槨」が伝わりました。

これに伴い、埋葬の背後にある思想も伝わってきました。

その思想は、死後、魂気が天に帰り、形魄が地に還るという死生観や魂魄観でした。

この考え方に基づいて、古墳では遺体は密閉された棺や槨に収められ、複雑な儀式のもとで墳丘の中に封印されました。

一方で、魂気は船に乗って他界すると考えられていました。

船形埴輪に描かれた船や、広陵町の古墳から見つかった実物大の彫られた船は、有力者が死んだ際にその魂が船で他界する様子を表現したものと考えられています。

大切なのは、古墳が葬儀儀礼の舞台として機能しており、表面には他界が表現されていたことです。

これらは、有力者の死を悼み、その魂が他界する様子を模倣的に再現し、古墳を他界へと導く場として使われていたのです。

古墳と権力の関係

地方の首長たちは、中央の権威に対抗するために、より大きな古墳を造って自らの権力を誇示していました。

天皇はこれに身分を与え、朝廷を支える一員としての役割を割り振っていきました。

それにより、相互の力の制約が不要になった可能性があります。

時代が律令国家へと進展する中で、天皇を中心とする新しい政治体制が確立されつつありました。この変化の中で、従来の象徴である古墳は次第に姿を消していったのです。

厚葬から薄葬への社会的変革

「薄葬令」は、大化改新の646年に制定されました。

この法令は、「厚葬」を廃止し、それが社会に与える影響が決定的だったと言われています。

「薄葬令」は、権力者の葬儀に多くの財や手間をかけることが民衆に負担をかけるため止めるべきだという考えから生まれました。

同時に、身分による葬儀の秩序を確立する側面もありました。

この法令は、大きな墓の建設を制限し、死者の身分に応じて墓を作る人数の上限を設け、遺体を特定の墓地に埋葬することを求め、殯や殉死、宝物の副葬を禁じるなど、従来の慣習を否定しました。

現代の葬儀トレンド薄葬の広がり

葬儀には、「厚葬」と「薄葬」の2つのアプローチがあります。

厚葬は世間体を重視し、祭壇やお墓にお金や手間をかけるスタイルです。

対照的に、薄葬は生前のケアに注力し、葬儀は簡素にし、残った財産を家族が有効に活用する考え方です。

現代では、薄葬が当たり前のように広がっています。

従来型の葬儀は「厚葬」であり、一方で「家族葬」は現代の「薄葬」です。

葬儀に多額の費用や手間をかけず、遺族に負担をかけないという「薄葬」の考え方は、「家族葬」のアプローチそのものであり、これは最近になって始まったものではありません。

弥生時代と現代の葬儀における経済と個人の重要性

現代においても「薄葬」の考え方が主流となった背景にはいくつかの理由が挙げられます。

以下の要因が絡み合い、現代社会で「薄葬」が主流となったと言えます。

遺族や故人の希望、経済的状況、環境への意識など、多岐にわたる要素が考慮された結果です。

弥生時代と現代の社会状況は大きく異なるため、直接比較することは難しいのですが、いくつかの点で類似性や共通性が見られます。

1.経済的な観点

現代社会では、高額な葬儀費用や巨大な墓石の建設に対する抵抗感が高まっています。

この経済的なプレッシャーは、薄葬の考え方が主流となる一因となりました。

遺族や故人の経済的状況を考慮し、贅を尽くすことよりも賢明な選択とされています。

弥生時代においても、墓の建設や葬儀には一定の経済的負担が伴っており、首長や権力者の墓はその規模や内容に応じて相応の資源が必要でした。

2.環境への意識

現代では環境問題がますます注目され、大規模な墓地や贅沢な葬儀が環境に与える影響が考慮されるようになりました。

こうした背景から、薄葬が土地使用の節約や資源の浪費を最小限に抑える方法として受け入れられています。

弥生時代では環境への意識は現代ほど顕著ではありませんでしたが、土地の利用や資源の有効活用が考慮されていた可能性があります。

3.個人主義の浸透

現代社会では個人主義が強調され、葬儀スタイルもその傾向に合致しています。

薄葬は生前の希望や価値観を尊重し、シンプルでパーソナライズされた儀式を可能にします。

これは、弥生時代においても首長や権力者の葬儀が個人の地位や権威を示す手段であり、個人の存在が重要視されていたことと通じる点があります。

4.宗教や信仰の変化

現代では伝統的な葬儀形式に対する宗教的な束縛が緩和され、宗教的な自由が尊重されるようになりました。

この変化により、個人や家族の信仰に基づいた柔軟な葬送スタイルが広まりつつあります。

一方で、弥生時代は宗教が発展途上の時代であり、現代のような柔軟性は見られませんでしたが、死生観や霊的な信仰が存在していたと考えられます。

葬儀スタイルの比較:厚葬 vs. 薄葬

厚葬は社会的ステータスを表し、悲しみを共有する機会を提供する反面、高い経済的負担や環境への影響が指摘され、伝統的な形式に縛られることがあります。

一方、薄葬は経済的負担を軽減し、環境への影響が少なく、故人や家族の希望を尊重する個人主義を重視します。

ただし、社会的な期待や感情の処理において制約が生じる可能性があります。

まとめ

時代が変われば、葬儀と墓の在り方も変化します。

弥生時代から始まり、政治や権力の象徴となっていた古墳から、厚葬の伝統が「薄葬」のトレンドへと変わっていく過程には、時代の背後に潜む様々なストーリーがあります。

現代では経済的な側面や個人の価値観が、葬儀文化に大きな影響を与えています。

高額な葬儀費用に抵抗する人々、環境への意識が広がりを見せる中、薄葬は多くの人に受け入れられています。

そして、それは単なる新しいトレンドだけでなく、歴史的な変遷を経て生まれた文化の一環なのです。

これからも私たちの生活や価値観が変われば、葬儀と墓の在り方もまた新たな局面に進化することでしょう。

歴史から学び、現代を理解し、未来を見つめながら、葬儀文化の旅路は続いていきます。

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